木津市場の歴史

木津市場の歴史

大阪木津卸売市場(以下、木津市場)は、300年を超える歴史を誇り“食い倒れのまち”大阪の台所として、大阪市民の生活を支えてきました。そのルーツは平安時代にまで遡り、朝廷のお抱え商人・供御人(みくりやくにん)として主に魚介類を奉納していたとも伝えられています。現在でもそのなごりを目にすることができ、大阪を代表する 戎(えびす)祭では、木津市場から古式に合わせて由緒ある鯛(戎鯛)が奉納 されています。

そんな木津市場の原型は、今から約300年前、
1710年頃(宝永年間)に、各人がそれぞれの商品を持ち寄った野立ち売りにあります。
それから約100年、1810年(文化7年)当時の大阪代官・篠山十兵衛景義の尽力により市として官許されるに至り、ようやく市場としての存在を認められることになりました。ちなみにこの当時は、現在とは異なり大国神社北西部一帯に位置していました。

大きな転換期を迎えたのは、大正~昭和の初期にかけてのことです。当時は、都市の膨張による大量需要や、食生活の向上が著しい時代で次第にそれまでの未成熟な流通形態では、対応できなくなります。

そこで大正12年、安定した物流、商流を
形成する為、中央卸売市場制度が設け
られました。

この制度では、『中央卸売市場は一都市一市場が原則』
と定められており、各地に散在していた民間の市場は統合、
または閉鎖されることになります。大阪でも、木津市場を
はじめ、なんと30もの市場が閉鎖されることになったのです。

しかし、市民の生活の為には市場が必要。そこで木津市場
はこの決定に応じず、存置運動を展開していきます。この運
動は、大阪市や中央政府を巻き込んでの事態にまで発展し、
まるで時代劇さながらの大騒動だったと伝えられています。

そして、関係者の熱意はやがて実り、結果、昭和6年
木津市場は大阪中央市場の木津配給所ということで収まり、運営・営業は独自で行うことで決着。名を捨て実を取ることで市場の存続を守り抜くことに成功したのです。

その後、昭和13年には、現在地に移転し木津卸売市場
と改称。戦災の影響で一時期廃場ともなりましたが、昭
和25年、旧市場関係者有志により完全民営の卸売市場
として再開場を果たします。

昭和48年には、大阪木津地方卸売市場と改称し、
日本最大級の規模を誇る民間の地方卸売市場として
現在に至ります。
また平成19年からは、市場のリニューアルにも着手し、
平成22年にグランドオープンしています。

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